日々揚げ足をとって生きていく

不定期に揚げ足をとっていきます

小ネタ。ハリウッドの黄金時代っていつだ

gigazine.net

 キューブリックの撮影スタイルについて、↑の動画を参照した(モロパクりした)記事。最初にキューブリックのトレードマークとも言える手法を列挙するところで、“Symmetrical Framing(左右対称のフレーミング)”と言っているところを何故か“一点透視図法”と言っている。GIGAZINEで以前キューブリックフレーミングにおける透視図法の話を取り上げたからそれにひきずられているのかもしれないが、動画で言っていることはちゃんと正確に伝えようぜ。しかも、スクリーンショットにでかでかと書いてあるんだ、“Symmetrical Framing”って。これだと“Symmetrical Framing”の訳語が「一点透視図法」であるかのようになってしまうじゃないか。

 加えて、

キューブリックが映画作品の中にプラクティカル・ライティングを取り入れた初めての監督というわけではありませんが、ハリウッド黄金期の映画の中でプラティカル・ライティングが標準的な手法として用いられるようになったことに大きな功績があると、ムービーを制作したEntertain The Elkは語っています。

 ハリウッド黄金期って言ったらふつう1930年代から40年代のことを指すと思うのだが…… 少なくともキューブリックはその世代とはずれるだろう。対応すると思われる文は、

Kubrick wasn’t the first director to utilize practical lights in his films, but I believe he helps popularize the aesthetic. Up until that point the standard method of lighting during the Golden Age of Hollywood had been the three point system.

 訳すとすれば、

キューブリックはプラクティカル・ライトを用いた最初の監督ではないけれど、その美学を普及させるのに貢献したのは彼だと思う。それまでのハリウッド黄金期、標準的な照明の手法は三点システムだった。

 「大きな功績」とかまでは言ってないし、おそらく文の切れ目をきちんと理解していないせいで節ごとにどこがどうかかってるかがまるで訳せていない。以前の記事でも書いたけど、文字起こしだけ読んできちんと音声聴いてないんじゃないか?

 というか、記事の後半では「1960年代、ハリウッドの古典時代が終わりを迎え…」とか「キューブリックのような監督たちが、古典的なハリウッド映画に使われていた幻想的でロマンチックな撮影方法から脱却し…」とか書いているわけだし、「ハリウッド黄金期の映画の中でプラティカル・ライティングが標準的な手法として用いられるようになった」という文章は原文にあたらず記事だけを読んでも時系列的におかしいことはわかるはずだ。

 久しぶりにGIGAZINE読んだので、ちょっと更新してみました。いつもだいたい同じようなことばっか言ってるな…

気持ちはわかるがそんなわけねぇだろ! 科学実験の写真集

 WIREDに珍訳があった。

wired.jp

スキナーは科学に関する経歴が自身にないことを認めた最初の人物だ

 そんなわけねーだろ! 科学を学んだ経験がないことを認めている人間なんか星の数ほどおるがな。しかし、原文が原文なのだった。

www.wired.com

Skinner is the first to admit she doesn’t have a background in science

 直訳したらそうなるよね。手持ちの英和辞典には見当たらなかったが、ODEをひいてみたら“the most pressing, likely, or suitable”の意で“the first to do”を用いる例がひかれている。つまり、「スキナーは科学のバックグラウンドを持っていないことをきっぱり認めるだろう」とか「喜んで認めるだろう」といったニュアンスか。ODEに頼らずとも、WIREDの訳は端的に偽なので、たとえば(原文を読んで最初に僕が考えたように)“the last person to do”「もっとも~しそうにない人物」といったイディオムから連想することで、「もっとも~しそうな人物」という訳文は思いつきそうなものだ。あとは根性で辞書ひいて用例があったらめっけもん、だが、辞書引いて辿りつかなかった可能性はある。それにしても嘘ついてしまう訳文になってはいけないのではないか…

 ついでにいうと、上の文につづくかっこの中身もちょっと微妙。

CERNの粒子加速器に関する詩を書いてグッゲンハイムの助成金を獲得した彼女の父親も経歴はない)

 原文では“(neither does her father, who won a Guggenheim grant to write poetry about CERN’s particle accelerator)”と関係代名詞の非制限用法が使われているのに、これじゃまるで制限用法のようだ。ニュアンスがまるで違う。しいていえば「彼女の父親も科学のバックグラウンドはないが、CERNの粒子加速器に関する詩を書いてグッゲンハイムの助成金を獲得したことはある」としたほうがいいような気がする。

 なんか写真のキャプションもびみょー。二重振り子のカオス運動を収めた写真には「木製の2つの振り子につけられたLEDライトはカオス理論を描き出している」というキャプションがついているが、illustrateを「描き出す」というのは、ちょっと正確さに欠けるのでは? 二重振り子の運動は、カオス理論を「図示している」と言ったほうがいいだろう。の「火をつける前に、食器用洗剤と軽い液体、水の溶液の中に手を入れなさい。」という文章のぎこちなさは別にいいとしても、lighter fluidを「軽い液体」としているのはよろしくない。ライター用のオイルのことだろう(参考:Lighter fluid - Wikipedia)。水蒸気で雲をつくる実験については、「スキナーはケンタッキー州のほぼ湿度100%の夏の日が来るのを待っていたので、雲は長く残っただろう。」というのは因果関係が逆というか、原文*1を読めばわかるとおり、「煙がより長くとどまるように、スキナーは湿度がほぼ100%になるケンタッキーの夏の日を待った」のだ。“so that”のニュアンスがぜんぜんとれていない。プリズムによる分光を捉えた写真のキャプションには「[複数の]色の白い光への分離」とあるが、分光という現象は白い光を虹色のスペクトルに分散させることであって、この訳文ではまるで逆だ(原文も“The separate of white light into these colors”となっている。)

 以上、WIRED上ではまれに見るレベルのひどい翻訳だった。

ちゃんと会話聴いて訳してんの? 95歳でカムアウトしたゲイのおじいさん。

 GIGAZINE自体をあんまり読まなくなっていたのでいきおい、このブログも放置していた。しかしちょっと見過ごせないのがあった。くだけたインタヴューで、きちんと会話の流れを追っていればこんなミスしねえだろ、というものが…

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確かなことは私が世界を知りたいと思ったことです。

 これはケアレスっぽい。もとの言葉は“Certain things I wanted the world to know.”で、「私が世界に知っていてほしいと思ったたしかなことだったから」みたいなニュアンスか。墓まで持っていくわけにはいかない、って思ったんだろうね。

私ははっきりと家族に「生まれたときから私の人生はゲイだった」と話しました。私の全人生の中で起きた悲劇を伝えると、家族はなぜ私がカミングアウトしたいと思ったのか理解してくれました。なぜなら私は「私はゲイだ!」と言っただけなのですから。「いつから?どこで?どうして?」という質問はばかげています。90年以上秘密を抱え続けるということが想像できますか?

 ここは会話が断片的になっていて若干わかりづらいのだが、少なくともこの訳文ではひとつの段落のあいだで矛盾が起こってしまっている。「私の人生の悲劇をまるごと語ったのです」“I told them the whole tragedy of my life.”と言っているのに、「なぜなら私は「私はゲイだ!」と言っただけなのですから。」というのはちょっとおかしい。私はゲイだ、と言っただけでは済まなかったので、自分の人生について語った、と考えたほうがいいのではないだろうか。ただ、「私は生まれてこの方ゲイだった」という一言が「私の人生の悲劇まるごと」をあらわす率直な言葉で、あとは言わずとも家族は理解してくれた、ということかもしれない。それでも、“Because just to say, “I’m gay” - Blah!/That’s ridiculous/Why? Where? What?”という一連の言葉の流れは、「なぜ、どこで、なにを?を尋ねることは馬鹿げている」というよりも、「『私はゲイなんだ』、以上!というだけなのは馬鹿げている」のだと言っているように聞こえる。90年ものあいだ秘密を持ち続けた悲劇を一言で済ますなんてちょっと考え難いしね。

Davey Wavey: どんな男性がタイプですか?例えばマーロン・ブランドとか、ロナルド・レーガンとか?どんな人に似ていますか?

Roman: そういうのは気にしませんよ(笑)。あなたは顔つきを気にするかもしれませんが、私は顔ではなくハートを見るのです。

 えっ、と思ったのは、「あなたは顔つきを気にするかもしれませんが」の部分。「あなた見た目を気にするでしょう」“You care what he looks”と言っているのは画面外にいる女性らしき人物で、それにローマンさんは「いいや、私は気にしません」と答えている。ほんとは面食いなのを匂わせる笑えるやり取りだ。それが、全部ローマンさんの言葉になってしまっている。動画をまともに見ていたらこんな間違いはしないと思う。YouTubeの文字起こし機能で出てきた文章だけ見ているのではないか?

 まあ、ブログ名どおり、揚げ足取りもいいとこだけど、気になったので。

自分の現職場をDISる人なんてそうそういないでしょ。

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現在はヒューレット・パッカードの子会社・Palmで働くバロウ氏は、「Palmのチームはとても組織的で、働く上で自分の属する部署以外に対する責任を負う必要はありません。それぞれが自分の持つ責任を明確に把握しており、わからないことを他部署の人に尋ねても『それは私の仕事ではありません』と言われるのが一般的でした」と話します。そしてバロウ氏はティム・クックCEO率いるAppleは大胆さがなくなり、Palmと同じような業務になっていると指摘しています。

 バロウさん、「Appleはつまんねえ会社になっちゃったな。まるで今の職場を見ているようだ」なんて言ってたら職場で干されるんじゃ… と思って元記事(Tim Cook made Apple 'boring operations company' - former engineer)を読んでみたら、案の定杞憂だった。

But today, the "dynamic has clearly and distinctly changed," and Apple is much closer to his job at Palm, said Burrough, who most recently founded a 3D printing company called Bilt It.

 バロウさんの一番最近の仕事は3Dプリンティングの会社を設立したことだそうだよ。じゃあいつPalmで働いていたかといえば、彼の経歴を見てみると、Appleに務める前の2005年から2007年にかけてだそうだ(この情報も最新ではなさそうだけれど、今回の場合は関係ない)。なんでこんな勘違いをしたのかちょっと気になる。ちょっと原文を見てみる。

"Working at Palm, the teams were highly organizational, [hierarchical] and responsibilities were siloed," Burrough said. "There was a clear sense that each person had a clear responsibility, and rarely deviated from it. When you went to someone for help solving a problem 'not my job' was a common response."

 可能性としては、バロウさんの言葉の冒頭に出てくる分詞構文(強調部分)の時制を、「現在分詞だから現在形だよね!」なんて具合に解釈したのかもしれない。当たり前だが、分詞構文の時制は主節の時制に従う。現在分詞と過去分詞は能動か受動かで使い分けるにすぎない。

一方でBloombergのマーク・ガーマン氏は「近年のAppleMac部門は2つ以上のアイデアを競争させるようになってきている。『デザイナーとエンジニアがひとつのコンセプトに同時に取り組むべき』という考えの元だ」と話しており、クック氏率いるAppleは賛否両論状態で、今後の手腕が期待されます。

 最後の段落のこの一文もなにを言わんとしているのかわからない。「2つ以上のアイデアを競争させるようになってきている」のに、「デザイナーとエンジニアがひとつのコンセプトに同時に取り組むべき」っていうのはどういうことだ? 原文をあたってみると、

Bloomberg's Mark Gurman reports that in the past few years, inside the Mac division "Apple managers have also become more likely to float two or more competing ideas, meaning designers and engineers must work on more than one concept at a time. In the past, managers pushed a more singular vision."

 言ってることがほとんど逆じゃないか! なにをどう読んだらあんな訳になるんだろう? 忠実に訳すと以下のようになるだろう。

Appleのマネージャーたちは2つかそれ以上の競合するアイデアのあいだをふらふらするようにもなってきていて、これはつまりデザイナーやエンジニアたちが一度に複数のコンセプトにもとづいて仕事をしなくてはいけないということを意味する。かつては、マネージャーたちはもっと確固たるひとつのヴィジョンを推し進めたものだ。

 ひとつの確固たるヴィジョンを是が非でも実現する、というジョブズ時代の押しの強さがなくなったために、デザイナーやエンジニアがひとつの目標に集中するような環境がなくなってしまった。それがAppleがかつてのような大胆さを失った理由だ、というのが論旨だ。GIGAZINEの記事を読む限り、執筆者はこうした含意を一切読み取れていないように思える。ほんと、なに考えて記事書いてるんだろう?

「人気の汚い言葉リスト」ってなんだよ?

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 手短に。

1つ目の研究は個人レベルの汚い言葉の分析が目的で、276人の男女に「一般的に人は悪い言葉を使っている」という事実を伝えた上で、「人気の汚い言葉リスト」から、それぞれの汚い言葉から連想する怒り・恥などの感情を答えてもらいました。

 妙なテストだな、と思って原文を読んだらぜんぜん違った。

In an effort to settle the debate, the researchers first studied individual profanity by asking 276 individuals to report how commonly they curse, list their favorite swear words, and explain what emotions they associate with swearing (like anger, embarrassment, or anxiety).
議論に決着をつけるために、研究者たちはまず個人レベルの口汚さを調査した。276人の個人に、彼らがどのくらいの頻度で悪態をつくかを報告するよう依頼し、また彼らのお気に入りの罵倒語を列挙してもらい、罵るという行為にどのような感情を結びつけているか(怒り、困惑、不安など)を説明してもらったのだ。

 素直に被験者を指すと考えればいいものを、わざわざこのtheyを不特定多数の「人々」の意味と解釈したせいで、原文にはない謎の手順(この研究者グループは“「一般的に人は悪い言葉を使っている」という事実を伝え”てなんかいない)が加わっているうえ、「人気の汚い言葉リスト」という謎のリストまで登場している。結果として、「自分にとって罵るという行為がどのような感情に結びついているかを説明してもらう」という最後のタスクの内容まで改変しているのだから、原文が伝えるべき意味をまったく伝えられていないと言うべきだろう。「全体の意味としては間違ってなくもないけど訳としては全然駄目」というのがGIGAZINEの平常運転だけど、これはひどい

ファミコン前夜、人々は「夢のゲーム機」を待ち望んでいたのか?

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ドンキーコングが登場した1981年は、アメリカで大ブームを巻き起こした数々のビデオゲーム機が消えていたころ。
ゲームを楽しめる夢のような端末の登場が待たれていた頃でもありました。

 実態はむしろ真逆で、アタリショック以後北米のゲーム専用機の需要は大きく落ち込んで、当初はなかなか売れなかったらしい。*1実際動画ではなんと言っているかといえば、

It was saturated with a lot of different consoles, and the boom in home computers made a lot of people question why they’d want a separate device just to play games.
[市場は]さまざまな種類のコンソールで飽和状態であり、またホームコンピューターのブームによって、たくさんの人々が「ゲームをするためだけの独立したデバイスなんて必要なのだろうか」と疑問に思うようになった。

 「夢のような端末」なんていう記述はどこにも出てこないし、むしろまったく逆のことを言っている。「パソコンでゲームできるのに専用機なんて買わなくていいじゃん」という空気を打ち破ったのがファミコンの凄いところというわけだ。

そこに登場したのが宮本氏の作った「物語性」のあるゲーム。スーパーマリオや…… ゼルダの伝説など。物語性のあるゲームは、任天堂NES(ファミリーコンピューター)でしか体験できないゲームでした。

 マリオが明確な物語性をもったゲームの初期の例だというのは、この記事(A Brief History of Storytelling in Video Games | Digital Raconteurs)を読む限りでは間違いではないようだ。訳も別にそこまで間違っているわけではないのだが、前文の意味を取り違えてしまっているために、なんでこの文章がここになければいけないのかという必然性が見えづらいものになってしまっている。ゲーム市場が飽和状態になり、ゲーム専用機の存在意義が失われかけていた空気の中で、専用機でしかプレイできないストーリーテリングを持ったゲームが登場したおかげで、ファミコンが一気に売れた、という一連の文章の流れが削がれているのだ。

 加えて地味な誤訳を指摘しておくと、ドンキーコングに登場するジャンプマン(マリオ)を「木こり」としているが、マリオは大工(のちに配管工)だ。動画でもしっかり“carpenter”と言っている。

*1:Wikipediaを参考にするのもどうかと思うが、注釈の中に出典付きで以下のように記述がある。“当時、米国任天堂社長だった荒川實によれば、ビデオゲームに対する拒絶反応があまりに強いので、最初はほとんど商売にならなかったとのことである[12]。”ファミリーコンピュータ - Wikipedia

致命的な誤訳と地味な誤訳(「感動的な経験をすることで将来の記憶形成が強化される~」、「優れた写真を撮影するためのポイント~」)

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 感動的な経験をすることで将来の記憶形成が強化される、ってどうやって調べたんだ。

新しい発見を見つけ出すため、研究者たちはfMRIを用いた調査を行いました。被験者を3つのグループに分け、ひとつのグループには23分間の「感動的な刺激」を与え、9分間の休憩を挟んだのち、「感動的な中性刺激」を23分間与えたそうです。2つ目のグループではひとつ目のグループとは「感動的な刺激」と「感動的な中性刺激」を与える順番を逆に、3つ目のグループでは間の休憩時間を9分から23分に伸ばしました。

 なんとこの科学者たちは人為的に被験者を感動させることができたらしい。というのは冗談で、っていうかもはや「感動的な中性刺激」というフレーズが出てきている段階で訳がおかしいことは目に見えている。わざわざ論文の内容に立ち入るまでもなく、原文(Emotions drive stronger memories of later, unemotional events | Ars Technica)で「感動的な刺激」に相当するのは“emotional stimuli”であって、「感動的な中性刺激」は“emotionally neutral stimuli”だ。凄い! とか脱帽! とかいった激しい感情としての「感動」ではなくて、「哀しい」「楽しい」あるいは「快」「不快」といったレベルの「感情」の話だ。訳した人は「感動的な中性刺激」という意味不明な日本語を書きながらなんとも思わなかったのだろうか。それに比較対象なんだからそっちまで感動的じゃおかしい。ふつう、「感情的に中立な刺激」と訳すだろう。

 この研究結果は、感情というのは単に刺激に付随してあらわれる現象ではなくて、その後の記憶形成を強化する役割を果たしている、という話だ。それがGIGAZINEの書き方だと、「感動すると脳にいい」みたいなきわめて粗雑な議論に見えてしまう。ほんとに記事の内容を理解していないんだなぁとしみじみしてしまう。

 もうひとつ、これは別に取り上げるほどのことじゃないのだが、優れた写真を撮影するためのポイント「DIET」をプロの写真家が解説 - GIGAZINEという記事からひとつ。

優れた写真は「ほんの一瞬で撮影されたもののはずがない」という強い印象を見る側に与えるそうで、そのために必要なポイントが「TIMING(タイミング)」だそうです。

 これ、最大限好意的に読めば、「何気なく撮影されたように見えるが、周到に準備されているに違いないという印象を見る側に与える」みたいなことを言っているように思えなくもない。けどこの書き方じゃ、長時間露光とかそういう話のようにも読めてしまう。結論を言うと、どっちも微妙に間違っている。原文(というか原動画)でここに相当するのは1分45秒くらいからのシーケンスだけれど、そこで言われているのは“a great photograph can give the impression that it could not have been taken a split second before or after”ということ。すなわち、「偉大な写真はほんの一瞬でも前や後になったら撮りえなかったかのような印象を与える」という、いわゆる「決定的瞬間」の話をしている。別になんとなく聞き流してわかった気になっちゃうことは責めないが(自分もそういうことはままある)、わざわざ訳して伝えるならもうちょっと原文に誠実に訳してほしい。マジで。